諏訪森だより

特定非営利活動法人浜寺諏訪森を考える会

浜寺諏訪森とその周辺の地図

明治から昭和にかけての地図

歴史比較地図

明治の初年、大日本帝国陸地測量部が明治18年に測図して明治20年に出版した地図があります。現在の浜寺諏訪森の周辺では、いくつかの集落が点在し、その間には田畑と空き地が広がっています。
集落は、石津川の河口近くに下石津村、そこから東南に細い径が延びて、船尾村につながっています。さらに南に行くと下村(しもむら)があります。下石津村は紀州街道をはさんで 石津川の北岸に広がっています。太陽橋を渡った南岸沿いにも人家が少し建っています。その先を紀州街道沿いに南に進むと、人家は全く途絶えて、2.5kmほど先に今在家村があります。ここは現在の高石市羽衣です。
明治18年(1885)から現在までの130年間の地域の変化は、当時の地図と現在のgoogle mapの比較で見ることが出来ます。村落は住宅地に埋もれてしまい、田畑はほとんど残っていません。所々に残っている当時の灌漑池が、農作の名残を留めています。130年間のまちの移り変わりを示す歴史地図をいくつか用意しました。
海岸沿いに鉄道が出来、道路が整備されて住宅地が出来ました。海岸を埋め立てて臨海工業地域が広がっていった様子も見ることが出来ます。それとともに、田畑が消えて住宅地に代わって行きました。

歴史地図(クリックしてください)
明治43年、堺市の地形図(二万分の一) 堺市の中心部から大阪湾岸部を示す地図
明治18年測図、明治20年発行、浜寺諏訪森地域図 明治初年の地域の様子を示す地図
明治42年測図、大正元年発行、浜寺諏訪森地域図 三村が合併して濱寺村となり、今在家村は高石村の一部になった。南海鉄道が開通している。
大正11年測図、大正14年発行、浜寺諏訪森地域図 濱寺村が濱寺町になり、阪堺電気鉄道が開通した。浜寺公園駅前や諏訪ノ森駅周辺に住宅、店舗ができはじめた。
大正11年測図、昭和7年発行、浜寺諏訪森地域図 浜寺公園駅付近では浜寺土地会社が鳳街道沿いに宅地分譲を行って、お屋敷街が形成されはじめた。諏訪森では駅の西側に住宅が広がった。
大正11年測図、昭和22年発行、浜寺諏訪森地域図 昭和8年に海岸沿いに国道16号線(戦後26号線となり、現在は大阪府道204号堺阪南線)が開通しました。諏訪ノ森駅と浜寺公園駅周辺の住宅が増えています。昭和8年に浜寺昭和小学校が出来て周辺に住宅地が広がりました。また濱寺公園の北部は三光松住宅として分譲され高級住宅地となっています。
大正11年測図、昭和44年発行、浜寺諏訪森地域図 昭和23年に浜寺中学校の校舎が四つ池遺跡の場所に完成し、昭和40年代に入ると校舎も増えています。船尾や元町の田畑が消えて住宅地が広がりました。昭和30年代に海岸の埋め立てが始まり、人口島に工場が建ち始めています。
大正11年測図、昭和49年発行、浜寺諏訪森地域図
大正11年測図、昭和63年発行、浜寺諏訪森地域図
旧濱寺町区域図
濱寺町役場付近の地図(昭和7年)
浜寺校区住宅地図昭和46年
浜寺校区住宅地図昭和50年
浜寺、浜寺東校区住宅地図平成14年
諏訪森海岸の写真 水泳練習前の準備体操をしている小学生